つながりにくくて煩悩だらけの毎日の中で

自分が暮らす地域は、明日5月7日から学校の教育活動を実質上再開するところが多い。現場の先生方は、どのようなテンションで子どもたちを迎え入れたらよいか戸惑いはないだろうか。子どもたちはどうだろう。長い長い登校の必要がない期間、自由を謳歌したのか、いつもはできないことを存分にできたのか、友達と会えない寂しさに知らず知らずストレスを感じどこかに八つ当たり先を見出したりしたのか、家に独りでいる時に泥棒が入ってきたらどうしようと不安感に苛まれていたのか。そういう詮無いことばかり考えていた。

ふとした時に思い起こすのは、通常の教育活動の実施期間においても、登校できなかった、そして今も登校できていない子どもたちのことである。

業務上、いろいろな状況の中で、学校に足が向かない子どもたちに関する報告書を読む。顔写真が添付されている場合もある。カメラの前でやや緊張気味の無表情な写真を見ながら、その子が教室や家の中で示す喜怒哀楽を想像することもある。

彼らは、ウイルス感染症拡大の予防という目的で自分のクラスメートが登校できなくなっている状況を、どのように捉えているのだろうか、と思い巡らす。

思いは巡らすが、自分がする仕事は、報告書に目を通し、ファイルに綴じ、担当者と所感を交わし、直接関係している機関との連携や今後の方針を確認するだけだ。とてつもなく間接的で、無力で、それ以上でもそれ以下でもない仕事だ。

現場でこの子どもたちに直接関わっている先生方や関係機関の方々は、自分とは質の違う無力感に肩を落としていないだろうか、と感じる報告書を読むこともある。せめて一緒に悩みたいとも思うけれど、立場上話をややこしくするだけで、それすらできないのが、自分の職業上の特徴だ。常にステルスでなければならないのだ。

こういうところで長年仕事をしていると、自分と学校にいる子どもたちがつながっているという感覚を失いがちになる。このブログを始めたきっかけも、自分が学校現場を離れることになった時に、当事者意識を失うことなく、しかし客観性を高めた上でこれまでの仕事を振り返ることで、また現場に戻る時の自分の足場をより堅牢なものにするためだった。

幸いにしてこの仕事の唯一の救いとなったのは、年間で40回前後、学校を訪問する機会があったことである。その際は、できるだけ先生と子どもたちとの間に流れる固有の文脈を見取りながら、自分が現場にいた頃の仕事の記憶と、学習指導要領やその時々の国や県の施策とを結び付けて考え、分析するよう心掛けてきた。それが、自分ができる唯一の研修であって、自分と学校にいる子どもたちとがつながっているという実感を保持する機会だったからだ。その一端をこのブログに書き記すことで、自分が見てきたもの、感じてきたことがなんであったのか、その正体を突き詰めるようなリフレクションをしてきたつもりだ。

今年度から主任職となったため、現場に足を運ぶ機会が失われることとなった。管理職であるため、研修事業の企画運営すら必要なくなり、同僚が提案することに助言したり、他の部署との連絡調整を図ったりする仕事ばかりだ。もう、自分がしていることのどこがどのように子どもとつながっているのか、そんな想像力すら保持するのが難しくなってきた。

そのせいか、学校が臨時休業中のこの期間は、本当にたくさんのことが脳裏をよぎった。分をわきまえずに発信していることも多かったと思う。いろいろな意味合いで「教育行政の人間のくせに」と思われた方もいただろう。

そんな忸怩たる思いでいたら、昨日ふと、かつて様々な面でご指導ご助言をいただいた方の中で、斎藤喜博校長のもとで長年教育実践に携わってきたA先生から、「指導主事も実践者ですよ」と慰めと激励の一筆を年賀状に添えていただいたことを思い出した。

自分はどんな「実践者」だったのだろう。そんな思いから、過去の投稿を全て読み直した。

全ての投稿と、それに対する様々なコメント、自分の応答も全部読んだ。そうしたら、無性に教材研究がしたくなった。もう現場にいた時のようにはできないかもしれないけれど、でも少しでも誠実に教科書の教材を丁寧に読もうという気持ちになった。たぶん、自分が子どもたちとつながる媒介として最も手っ取り早く、それでいて最も質の高い素材が、教科書だったんだろうな、と思う。

それでどうにか、自分の「分」もようやく取り戻した感じにはなったかな、と思ったということを書き記したくてパソコンに向かったら、今回が108回目の投稿である。見事に煩悩の数だ。あああ、煩悩だらけの毎日だったな。

20年以上前に教えた子が、新型コロナウイルス感染症の子どもが収容されている隔離病棟で奮闘している医師の一人として、家庭向けの談話を公開しているネット記事を見つけた。

我が家に配達された新聞の社会面では、非常事態宣言下で悩む市井の声を紹介した小さな記事の執筆を担当した記者が、10数年前の教え子であった。

みんな、どこかで子どもと直接、間接につながって頑張っているのだな。

明日の朝は、校内にこだまする子どもたちの声と、こだまに交じることができずにいる子どもたちの心の声と、それを迎え入れている先生と、迎え入れることができずに自宅で苦しんでいる先生の心の声も全てを思いながら、つながりの感じにくい日常の業務に向かおうと思う。それらも、教科書を読むようにできるだけ誠実にこなしていくしかない。

つながりにくくて煩悩だらけの毎日の中で」への5件のフィードバック

  1. お疲れ様です。「行政職」の皆さんが,このように考えてくれている人の方が多ければ,きっと学校(現場)と,官公庁(行政)がうまくいくのかなあ…違うのかなあ…僕はただの一般人で,やりたい事を責任なくやってるし…苦労も何も分かりませんから。ただ,僕はone of the broken さんの「熱すぎる熱」を,ここからいつも感じることができるし,(たった)一人でも,このような方が行政にいる事は,僕たちの救いになると思います。(僕は…他県なので直接のご指導など頂けませんが)上から目線ですみません。僕はブログの更新を楽しみにしているファンの一人です!

  2. ありがとうございます。もしいま自分が学校現場の一教員だったらと考えたら、どんなテンションで子どもと再会しようかと、連休中、ずっと緊張していました。うちの長男がこの連休中、帰ってきて、ずっとそのことでむしゃくしゃしていたようなんです。直接彼の言葉でそれを聞いたわけではないんですが、長い長い臨時休校の間、いろいろな教育書を読み漁っては、明日の授業を思い描いていたようでした。しかし、この数日は、それにも疲れたようでボーッとしてる様子を目にしていました。連休の間中、現場の教員が抱えているストレスを実際に目の当たりにしたようなもんです(笑)。それから昨晩は、大阪にいるとある学校の副校長さんや、自校のICTインフラ構築の工事に立ち会って休日出勤していた管轄区内の教頭先生と、これからのオンライン授業の在り方についてやりとりしたりしているうちに、ちょっとばかり現場にいるときのような気疲れをしたように思います。そんなこんなで倦んだ思いが、今日の投稿に現れちゃいましたね。でも、昨日ずっとこれまでのIwate oyabunさんとのやりとりを読み直していて、とても励まされたし、これから考えていきたいことの輪郭がはっきりしてきたようにも思いました。いつも本当にありがとうございます。明日はあまりもやもやしないで出勤できそうです(笑)。

    1. おはようございます。ありがとうございます。今日から仕切り直し!では,子供達の声が聞こえる学校に行ってきます!

  3. ご無沙汰しています。何かしら呟いてみたくてキーボードへ向かったのですが、具体的なことを書きだせば、あまりにあり過ぎてあきらめることにします(笑)。最近読んだ本の中の禅語を一つ紹介いたしましょう。「隻手音声」(せきしゅおんじょう)有名なのでご存知かもしれませんが「両手を打つと、音が響きます。しかし、片手ではどんな音がするでしょう」ということですな、ワッハッハッと高笑いしたい境地になりたいがなれない、それもいい!(ここは漫才師ぺこぱ風)お互いそれぞれの「現場」でまた明日から、秋田県教育のため頑張りましょう。私も非常勤とはいえ一応公務員ですので…

    1. 「煩悩」なんて書いたから、それを上回る悩ましい反応をいただきました(笑)。本当にご無沙汰しておりました。確かに、ここも「現場」、明日からの職場も「現場」ですね。そういえば10日ほど前でしたか、ある決定について「事件が現場でなくて会議室で起きてるものな〜!」とこっそり毒づいたことがありました。前例にとらわれず、自分の「正義」を常に疑いながら、想像力を磨いていきたいと思います。いつもありがとうございます。

コメントを残す