問う順序が生むもの・生まないもの~『三つのお願い』の授業より~(1)

4年生の教材に『三つのお願い』(ルシール=クリフトン作、金原瑞人訳)というユニークな物語教材があります。

様々な楽しみ方ができる物語ですが、私はこの教材を「呼称」を切り口にして考えさせました。

教材文を私が音読します。

『このお話には、どんな呼び方があるか数えててね。』

全部で11ありました。(「わたし」「ビクター」「レナ」「ママ」「ノービィ」「ゼノビア」「君」「自分」「あんた」「やつ」「おまえ」)

ママが「ゼノビア」と呼ぶときは怒っているときだという記述があります。このことを確認した上で、特に重要な意味をもっていると思われる呼び方を一つ選ばせました。

特に多かったのは「レナ」「ゼノビア」「あんた」「やつ」でした。2つめの「ゼノビア」は、ビクターとけんかしているときに呼ばれたときのものです。

つまり「レナ」以外は、ビクターとゼノビアのけんかの場面に特徴的な呼称が集中しているという子ども達の判断が見て取れます。そこで、けんかの場面の前提となる「レナ」という呼称について、その意味を考えさせるころから始めました。教材文の記述から分かることは次の通りです。

・ビクターだけが「レナ」と呼んでいる。

・ハリウッドの女優兼歌手のレナ=ホーンに由来する。

・ゼノビアの目標は、ハリウッドに行って映画に出演し、歌を歌うこと。

・デビューにあたっては、ビクターについてきてもらうつもりでいる。理由は「親友」だから。

『気になることやおかしいな?と思うことはない?』

こう尋ねると、「なぜビクターだけがレナと呼んでいるのか。」という疑問が出ました。

「ビクターはゼノビアの夢を応援しているからレナって呼んでいるんだと思う。」「ゼノビアの夢がすごいから、尊敬しているんだよ。」

こういう解釈は出るのですが、「ビクターだけ」という理由には迫りきれませんでした。

そこで少し視点を変えてみました。

『他の友だちはゼノビアのことをなぜレナと呼ばないの?』

Aという回答が十分深まっていないとき、なぜBでないのかと問うことで、Aを深めることがよくあります。案の定、「ゼノビアは他の友だちに言っていないんじゃないか。」という仮説が出ました。

なぜそう思ったのかと問うと、ある子が言いました。

「ゼノビアは自分の夢を友だちに言うのが恥ずかしいから、親友のビクターにだけ話したんだと思います。」

「あまり人に言うとかなわなくなっちゃうって考えたんだと思う。」

などということを考えのようです。

そこで少し揺さぶってみました。『ママは知らないの?ママにもその夢は言ってないの?』

これに別の子が答えます。「ママはレナって一度も呼んでない。だからきっとママにも内緒にしてるんだよ。」

いくぶん根拠のない推論になりました。しかしこれ以上深く追究することは4年生の手に余りますから、ここでこの話題は区切ることにしました。

ただ、この解釈はかなり正しいのではないかと思っています。事前の教材研究を根拠にそう考えたのですが、そこは今回の話題の中心ではないので割愛します。

レナという呼称については、もう少し考えを広げておく必要があります。レナという呼称が登場するのは、冒頭の1セント玉を発見するところです。ここも検証の対象とする必要があります。

『さっきビクターはレナを尊敬しているっていう考えが出ていたけれど、どこかからそれが分かるところはない?』

かなり漠然とした問いかけでしたが、物語の冒頭部分を見つけて考えようとしている子ども達がかなりいました。

落ちている1セント玉に気付いて先に口にしたのはビクターです。「お金みたいよ。」と拾ったのはゼノビアでした。1セント玉が<わたしが生まれたのと同じ年にできた一セント玉だった>ことにはビクターも気付いたようです。ビクターが言います。「レナ、運がいいぞ。同い年の一セント玉を拾うなんてさ。ついてるじゃないか。何をお願いするんだ。」

この場面でも同じように気になることやおかしいな?と思うことを尋ねました。子ども達から次のような疑問が浮かび上がりました。

・1セント玉に気付いたのはビクターなのに、レナに拾わせたのはなぜか。

・レナのことを喜んでいるが、自分も同い年だからレナと同様願い事を言える立場にあるはずだ。それなのに悔しがったり、一つ願い事を分けてほしいとか言わないのはなぜか。

これらの課題に対し、たくさんの推測が出されました。

・ビクターは、はじめからゼノビアの願い事をかなえることしか考えていない。だからわざとゼノビアに拾わせたのだろう。

・1セント玉が生まれ年のものだと気付いた時点で、ゼノビアにかなえてほしい願いは「ハリウッドでスターになること」とビクター自身は決めていたはず。

この推測は、後のけんかの場面でかなりの妥当性を検証することができました。話を先へ進めます。(ここまでで2単位時間を費やしています。)

ふだんはレナと呼んでいたビクターが、けんかの場面では「変なゼノビア。」と冷たく言い放ちます。これほどまでにビクターを怒らせたのは、ゼノビアのどんな言動だったのか、ということを考える段階になりました。

教師『ビクターは<変なゼノビア>と言っているね。レナと呼ばなかった。』

子ども「ママも怒っているときはゼノビアと呼んでいるから、ビクターも怒っているんだと思う。」

子ども「ゼノビアが自分の夢をかなえようとしないから怒っているんだと思う。」

教師『自分だって夢をかなえたいのに!っていう意味で怒ってるの?』

子ども「そうではないと思います。だって、ビクターが自分の夢をかなえたいと言っているところはないからです。」

教師『じゃあ<あんたみたいに、なんでもかんでも、ころっと信じたりしない>ってばかにされたからかな?』

子ども「それもあるかもしれないけれど、それだけで呼び方が変わるくらい怒ったりはしないよ。」

子ども「<あと二つお願いが残ってるぞ>って急かしているくらいだから、早くハリウッドのスターになる夢をかなえたらいいのにって考えてるんだけど、ゼノビアがそれをかなえようとしないから、せっかく応援しているのに!っていう気もちになって起こってるんだと思う。」

子ども「一セント玉を拾うのも譲ったのに!っていう気もちもあると思います。」

教師『じゃあ、単なるけんかとは訳が違うね。』

子ども「ビクターはゼノビアのことを思ってるからけんかになったんだよ。」

「あんた」などという呼び方が気に入らなくて、子どもなりの小さなプライドが傷つくために起こるけんかも数あるはずです。この学級の子どもたちも、日ごろきっとそんな理由で諍いを起こした経験に心当たりがあったでしょう。

しかし、この子どもたちはそれとはわけが違うということを感じたのだと思います。それが、けんかの理由に対する解釈を深めることになりました。

この解釈に至る背景には、呼称を中心に考えることでビクターがゼノビアにもつ敬意を解釈できたことがあるでしょう。ビクターは終始ゼノビアを立てることで、ゼノビアはその敬意に唯一の秘密を明かすことで、お互いが親友であるという関係を成り立たせています。

これは私が主になって進めた授業の一コマです。3時間分の記録でした。

この1週間後、別の学校で同じ構想のもとに、ある若い講師の先生が授業をされました。私はそのサポートに回っています。その際、構想は私の授業を下敷きにしたのですが、若干授業展開の順序が異なりました。それがどういうことにつながったのかといういうことを次回にお伝えします。

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教育、映画、音楽、書籍についてOne Of The Brokenであることを承知で書き残していこうと思います。
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